私事ですが、春から六本木の写真スタジオでアシスタントとして働くことになりました。
細かいことは置いておいて、
就職するということでより一層写真のことについて考えている今日この頃です。
これまでは、
「記録的な写真」ばかりを撮っていましたが、最近では
「芸術的写真(=作品的写真)」を撮ることも考えています。
人それぞれ写真を撮る意義は違うと思いますが、
僕の中ではその二つで大きく分けることができると考えていて。
あくまでも今現在そう考えているだけであって、
これからどんどん吸収して考え方は変わっていくと思うけれど。
記録的な写真について
僕の中では、
記録的写真は、日常などで美しいなと思ったり綺麗だなと思った景色や、
この看板面白いな、と思って撮った写真のこと。
直感だけでシャッターが押せる写真。
犬と夕景の写真ばっかりだな。
でも、まさにそうで、狙って撮っていない、
ああ〇〇ばっかり撮ってるなあ。のまさにそれが記録的な写真。
直感で、これ良いなああれ良いなあと思ってバシバシシャッターを押せますよね。
芸術的写真(=作品的写真)について
それに対して(対になっているかは分からないけど)こっちは、
何かを表現するために撮った写真。
ただ芸術は深すぎて僕は全然理解していないし、
今の段階では、感情を込めた写真
ぐらいにしか言えない。
同じ犬の写真だけれど、僕はこっちの犬の写真には
生き物はいつか死んでしまうことへの儚さを込めている。
大好きな愛犬もいつか死んでしまう。
いくら一緒にいる時間を過ごしても、死んだ時には必ず、
「もっと一緒に居たらよかった」と思うはず。
そう思うことは確定しているから今はどうすることもできないのだけれど、
きっとどうすることもできないから写真に残すんだと思う。僕の場合は。
家族の写真も一緒。
漢字だけで見ると、「芸術的写真」とはまたイメージが違うけれど、
「感情を込めた写真」と考えると今はしっくり来る。
だったら犬の写真を撮る時はいつもそう言う気持ちのはずじゃん。
と思う人もいると思う(今書いていて僕もそう思った)
でも人間、その時々によって精神的にそう思う時と思わない時があると僕は思っていて、
強く、儚さを感じた時には決まってフィルムで撮っていることに気づいた。
きっと無意識に大事な写真とそうでない写真の分別を行っているんだと思う。
これが最近僕が写真について考えていることでした。
最近撮った写真【portra400 & fujifilm xt2】
ここからは、最近撮った写真を普通に載せていきます。
使ったカメラはfujifilm xt2とnikon f3(portra400)です。
やっぱり犬と夕景の写真ばっかりだなあ。